「ブゥゥゥーン……」
4月の早朝、筆者である私の実家では目覚まし時計よりも先に、茶畑の防霜ファンが回る低い音で目が覚めます。直径1メートルもあるファンは空気を撹拌し、新芽に霜がつくのを防ぎます。やがて気温が上がり、ファンの音が役目を終えるゴールデンウィークの頃。窓を開けると、目の前に広がる茶畑は朝の光を透かし、まるで新芽そのものが内側から発光しているかのような、凄みのある黄緑色に染まっています。
私は静岡県・川根の茶農家の三代目として生まれました。
世界初のペットボトル緑茶が誕生したのは、1990年のこと。これからお話しするのは、それよりもずっと前、今から40年以上前の鮮明な記憶です。
大井川鐵道:衝撃の通学列車
静岡県の大井川鐵道といえば「SLの聖地」ですが、40年以上前の私にとっての生活の足は、さらに古い普通電車でした。
1980年代前半、当時の主力は、元名鉄3800系や元西武312系といった、昭和20〜30年代製造の車両たち。車内に入ると、ニス塗りの「木の床」から、古い油と木が混ざったような独特の匂いがしました。
そして発車時。床下から「ドカン!」と巨大な物理スイッチが入る音がしたかと思うと、体が後ろに持っていかれるような凄まじい衝撃が走ります。
同じ車両に乗り合わせた観光客はびっくりしますが、この衝撃に、ノーリアクションで会話を続けてこそ地元民です。大和田駅周辺で窓を開ければ、「新緑のトンネル」から草木の匂いが車内になだれ込んでくる。あの古い木の床の振動と匂いは、今の電車では絶対に味わえない、私の身体に刻まれた記憶です。
SLの復活と地域への想い
あの大井川鐵道は今、令和4年9月に発生した台風15号による災害で一部区間の運休という大きな困難に直面しています。しかし、鉄路の歩みは決して止まってはいません。
かつて、大井川を走るSLのボディは「黒」と決まっていました。それが2014年に青いトーマスが走り出し、この春には新たに緑色の「きかんしゃパーシー号」がデビューしました。時代の変化とともに、その姿も彩りを変えています。
けれど、筆者にとっては「何色でもいい、煙を吐いて走って」という想いに変わりはありません。
茶摘みの最中、ふと山に響き渡る力強い汽笛。空へ昇っていく煙。それは単なる観光の光景ではなく、この町に響く「ふるさとは、まだまだ大丈夫だ」という、確かな鼓動を感じさせるものだからです。
現在、大井川鐵道と県や沿線自治体が手を取り合い、「2029年春の全線復旧」という大きな目標に向けて、一歩ずつ歩みを進めています。
あの力強い汽笛が再び全線に響き渡る、誇らしいふるさとの風景を取り戻すために。大井川鐵道の歩みを一緒に見守ってください。川根本町へのふるさと納税という形で、復活の日を共に待つ「未来の乗車券」を手にしてはいかがでしょうか。
生産者が教える「川根茶」の淹れ方
復活を願って「待つ」という時間は、実は川根の日常そのものです。汽笛を待ち、新芽の成長を待ち、そして——急須でお湯が冷めるのを待つ。あの景色を身体の中へと取り込むことが、川根の茶文化の本質です。
現代のペットボトル緑茶は素晴らしい進化を遂げています。喉の渇きを潤し、手軽に持ち運べる冷たいお茶は、私たちの生活になくてはならないものです。
しかし、お茶には「熱いお湯でなければ引き出せない味」があります。茶葉が持つ本来ポテンシャル、しっかりとした「渋み(カテキン)」という骨格です。茶農家が教える、新茶の楽しみ方はこうです。
70度のお湯で「針」が開くのを待つ
- 沸騰したお湯を湯呑みに注ぎ、手で持てるくらい(約70度)まで冷まします。
- 急須に茶葉を入れます。この時、急須の底に当たって「キンキン」という金属音が鳴るはず。硬く撚られた上質な茶葉である証拠です。
- 冷ましたお湯を注ぎ、1分。茶葉がゆっくりと開き、香りが立つのを静かに待ちます。
出来上がったばかりの新茶の茶葉は、本当に針のようにピンと尖っています。急須に落ちる硬質な音を聞きながら、その「固い針」がお湯の中でほどけていく数分間。これこそが、現代人が失ってしまった贅沢な時間なのだと思います。
家山・田野口の絶品和菓子
本来の緑茶を手に入れたら、奇をてらったペアリングは不要です。私が推したいのは、地元で愛される和菓子。現在、寸断された電車の終点となっている家山駅。そこから歩いてすぐの場所にある加藤菓子舗の「川根大福」です。常温では持っていられないほどの柔らかなお餅の中には甘さ控えめのこし餡、さらにその中に生クリームが入っています。
注文は、今どきのECサイトではなく「電話かFAX」。わざわざ受話器を取り、店主さんの温かな声に触れて届くのを待つ。発送は代金引換で、東京であれば翌日には到着しますが、賞味期限はなんと「到着の翌日」。この潔いほどの鮮度こそ、本物の証です。
※冷凍の発送にも対応しており、賞味期限は到着から2週間です。
そしてもうひとつ、家山駅から先、運行が途絶えた「静寂の区間」にも、私がどうしても忘れてほしくない店があります。下泉駅から田野口駅の間にある、光林堂です。
ここの茶羊羹こそ、私が人生で一番好きな味。こちらも電話での取り寄せが必須となっています。さらに最寄り駅へ向かう列車は走っていません。観光客の流れが止まった区間で、今も静かに伝統の味を守り続けています。大井川鐵道が全線復旧したとき、真っ先にあの暖簾をくぐってほしい――そんな「幻の味」が、今も鉄路の先で帰りを待っています。
喉越しの良い冷たいペットボトル茶では、この完璧な調和は絶対に味わえないと思います。
伝統をつなぐ同級生、「諸田製茶」の挑戦
この風景と味を守っているのが、筆者の同級生が一家で営む「諸田製茶」。とても現実的で、しなやかな挑戦を続けている茶農家です。
実を言うと、諸田製茶は平成17年という早い段階で「川根の茶」のペットボトル飲料の開発・販売を始めています。急須を持たない家庭が増える中、「まずは手軽に本格的な味に触れてほしい」という想いから生まれた、川根茶の"最強のアンバサダー"です。
ペットボトルの便利さを誰よりも理解し、普及に努めている人たち。しかしだからこそ、山の傾斜地にある茶畑を守り、昔ながらの手技で「急須の底でキンキンと鳴る、針のようなお茶」を作り続けることにも、決して妥協しません。
彼女たちのインスタグラム(@morotaseicha)を覗いてみてください。急勾配の茶畑、立ち込める朝霧、そしてその間を縫うように走る大井川鐵道。そこには、ペットボトルという「入り口」から入った現代人に、いつか辿り着いてほしい、息を呑むような川根の日常が発信されています。
手間暇をかけて仕上げられた本物の川根の新茶を、ぜひ公式サイトから直接取り寄せてみてください。
鵜山の七曲りを眺めて
川根本町には「鵜山の七曲り」と呼ばれる、大井川が大きく蛇行する絶景ポイントがあります。
効率を求めれば、川も線路も真っ直ぐな方が良いに決まっています。しかし、大きく曲がりくねり、時に立ち止まりながら進む大井川鐵道と、急須でお湯が冷めるのを待つ時間は、どこか似ています。
GWの喧騒が落ち着き、いよいよ今年の本物の新茶が本格的に出回り始める今。効率だけではない、不器用で豊かな「日本の時間」を、一杯の熱いお茶とともにぜひ取り戻してみてください。
よくある質問(FAQ)
- 加藤菓子舗(川根大福): 静岡県島田市川根町身成3530-5(TEL: 0547-53-2176)/ 8:00〜17:00(月曜・第1火曜定休)
- 光林堂(茶羊羹): 静岡県榛原郡川根本町上長尾412-1(TEL: 0547-56-0064)/ 7:00〜19:00(不定休)
※記載の情報は2026年5月時点のものです。大井川鐵道の運行状況や新茶の販売時期は、最新の情報を公式サイト等でご確認ください。
【参考・参照サイト】※最終アクセスはすべて2026年4月